ピリポはエチオピアの宦官を救いに導きました。「主の使いが、御霊が」とあります。それは、後から振り返ってそのように導かれたのだということを彼らが確信したのではないでしょうか。私たちは自分たちの足跡を振り返って、その時、その時は懸命にやってきたこと、それが御霊の導きであったと悟ることが多いのです。さて、彼らが、そして今、私たちがなすべきこととして託されている使命を確認しましょう。
第一に、神はすべての人が真理を知り、救い主なるキリストの救いにあずかることを願っておられます(2テモテ2:4-6)。また、主は人を通して、私たちを通して福音を伝えられ、神と人とが協働して人は救われます。「宣教のことばの愚かさを通して」(1コリント7章)。それは私たちの努力によってではなく、でも、私たちを通して主が人をお救いになるということです。私たちがしなければ、誰もしない。神と共に働くのです。
第二に、そのために、私たちは道が開かれることを祈り願うべきです(ローマ1:10)。主が機会を備えてくださるように。そして、語るべきことばが与えられるように祈り備えるべきです(エペソ6:19)。
第三に宣教には良い時も、悪い時もあります。今、日本は最も福音から遠い国と言われます。しかし、震災からはっきりしてきたのは、このままでは国が滅びるような状況に私たちの国がなってしまっているということです。福音を知らされた私たちが携え語るべき使命ははっきりしています。ですから、私たちは忍耐を持って働きを進めるべきです(2テモテ 4:1-4)。そしてタラントを預けられたしもべのように(マタイ25章)、主人の喜びをともに喜びとする歩みをさせていただきたいと献げましょう。
録音データを聞く