ギデオンが主によって立てられたとき、イスラエルはミディアン人に荒らされていました。山々にある洞窟や洞穴、要害に身を避け、糧も羊も牛もろばも奪われる状況の中、イスラエルは主に叫び求めます。すると主は預言者を遣わして、このようになってしまった原因を告げます。神から離れ、その地の神々を慕い拝むようになったからです。イスラエルに対する神の期待は、世にあって世に染まらず、神の恵みを証しする器になるべきことでしたが、すっかり世に染まってしまったのです。
そこに立てられたのがギデオンです。彼に告げられたことばは、力強い主の励ましでした。「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」しかし、ギデオンにはそうは思えませんでした。主は私たちを捨てた。恐れが彼を支配していました。しるしを与えられた彼は祭壇を築き、「アドナイ・シャロム」と名付けます。その意味は、「主の平安」です。確かに主がともにおられる。その確信を得たからです。
ギデオンに命じられたことは、バアルの祭壇とアシェラ像を切り倒すことでした。しかし、真の戦いは、見える敵ミディアンよりも、自らのうちにあるとげを取り除くことでした。世にあって世に染まらずと思ってはいても、気づかないうちに数々の妥協をしていることがあるのです。そしてそれと向き合う妨げは、自らの内側にある恐れです。しかし、主は言われるのです。「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」ここに立つのです。
私たちの日々の営みもそうです。世にあって、世に染まるのは簡単なことです。何の戦いもいりません。しかし、世にあって世に染まらず、むしろ、そこに主の証しをするためにこそ、そこに置かれていることを忘れてはなりません。そして、そこに立つ者には「力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。」と主はいつも語りかけておられます。それを力に私たちも立とうではありませんか。