「キリストの道備え」マルコ1:1-8

 マルコの福音書はバプテスマのヨハネのことから「キリストの福音」を語りはじめます。彼は使徒であるパウロやペテロと行動をともにし、その目撃証言をもとに事実を吟味して簡潔にそれを記しました。それは、旧約聖書から続く約束の成就としての救い主であることに注意を向けさせます。

 イザヤ書からの引用として書かれている部分、実際は3つの旧約のことばの引用です。第一に「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし」ということばは、出エジプト記からの引用です。エジプトから贖いだされた彼らが荒野を通り、律法を与え、また導き手を与えるという約束です。それはモーセ、ヨシュア、・・・サムエル、エリヤと続きます。

 「あなたの道を整えさせよう」は、マラキ書の引用です。捕囚から帰還した民への悔い改めの迫りです。捕囚という荒野の生活の中で迫られたはずでした。しかし実際にはその悔い改めが実を結んではいない。もう一度整えるべく送られたことばでした。そして、残りはイザヤ書です。捕囚時代、そこに回復と慰めのことばとして語られました。

 いずれも共通しているのは、荒野の経験です。そこに遣わされた預言者たち。その最後の預言者がバプテスマのヨハネです。彼もまた、預言者たちの系譜の中に数えられる一人でした。そして、もう一つ共通するのは、神に対する人の心に罪という問題です。それがゆえに民は神の祝福を失ってきた。それは人が見たくない現実です。見たくない現実を認めるためには、荒野に出て行かなければ見えないのです。日常の中に埋没している限りわかりません。ヨハネはそこに悔い改めを迫りました。しかも、口で告白する以上に、バプテスマというしるしをして迫りました。あなたの悔い改めはどうでしょうか。