山上の説教、神の国を生きる教えを生きることは狭き門。厳しい要求が求められていることをご一緒に学びました。続いて主が語られたのは、偽預言者に気をつけよ。ニセモノにご用心!ということです。それは主の教えを曲げてしまう異端、そして、狭い門を広い門に拡げて主のみこころから逸れることへの警告です。偽預言者、それは羊のなりをした狼、それを操るのはサタン、そのことばは巧妙です。ときに光の御使いに変装して私たちを神から遠ざけます。
旧約には多くの偽預言者が登場します。「利得をむさぼり…わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安だ、平安だ』と言っている。」とそのあり様が糾弾されるのはエレミヤによってです。末期的な国に主は滅ぼす。だから悔い改めよ。それが真の預言者のメッセージ。しかし彼らは御用学者のように偽りを語るのです。
それだけではありません。新約では使徒たちの中にさえ偽りが混じり込みます。ローマ書の最後には「学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たち…そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです」とあります。ガラテヤ書にはあのケパ=ペテロやバルナバですら偽りの行動に引き込まれ、パウロの糾弾を受けなければならなかったことがガラテヤ書に記されています。
偽を見分けるには、本物を見ることです。本物はみことば、主イエスの教えです。山上の説教でイエスは偽物の見分け方。それは行動だけではなく心の思いまでも問いました。それは必ず表に現れ、実として見分けるものです。私たちもみことばに照らして、真理を見分け、主のみこころを我が喜びと生きる選択をしようではありませんか。