「リバイバル」使徒10:24-48

 初代教会は、一つ、また一つといままでの壁が打ち破られて前進が導かれました。この箇所ではペテロとコルネリオを通して主が異邦人との壁を取り払ってくださいました。その一つ一つのできごとを確認すると、聖霊がお下りになったという出来事が使徒の働きには5回出てきます。
 一つ目はペンテコステ。聖霊がお下りになったしるしです。二つ目はペテロとヨハネが釈放されて祈ったとき。それは神殿やユダヤのしきたりからの解放です。三つ目はピリポのサマリヤ伝道であり、四つ目がこの異邦人伝道で、いままでの既成概念、壁を打ち破るしるしでした。5つめはエペソの教会に対する励ましです。どれも共通することは、今までの殻を破る信仰復興であり、霊的覚醒、再生とも言われるリバイバルです。
 主はまた、その後二千年の教会の歴史の中にも、時にそのような時を与えてくださいました。大切なことは、私たち人は無力であって、神の力、神の恵みによらなければことは動かないということです。
 マルコ9章には弟子たちが追い出せなかった悪霊をイエスが追い出したときに「この種のものは、祈りによらなければ」と言われた主のことばがでてきます。この世の乗り越えられない壁を乗り越えるのは、決して人間の努力や願いによってのことではなく、あわれんでくださる神によるのだということを徹底して認め、主に祈り献げることに私たちは招かれているのです。
 何が私たちの問題なのか、失敗の原因は何か、直面している問題をどう説明し、どう取り組むのか。私にはできなこと、私たち人間にはできないこと。神はそれをなしてくださる信仰をもって祈り続けようではありませんか。
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