「上を向いて歩こう!」黙示録21:1-7

 私たちの周りでは人生の終わりを迎える『終活』なる言葉が使われるようになりました。それは過去と今のことです。未来に自分はいません。しかし、キリスト者には天に迎えられる希望があります。主が迎えてくださるのは新天新地です。終末について聖書はいくつかのことを語っています。それがいつなのか、眠った兄姉はどうなるのか。それは、「一日は千年のよう千年は一日のよう」という永遠の世界です。時から解き放たれて迎えられると理解したらいいのです。天に迎えられる希望を持って、今を「上を向いた歩こう!」と生きるのです。
 そこでは、神がともに住んでくださり、すべての交わりが回復します。この地の上では罪ゆえの断絶があり不完全です。神と人の間、人と人の間、互いをいちじくの葉で隠し合い、自分の欲と利益を求めます。しかし、主イエスの十字架のゆえにすべてが赦されて回復し、まったく新しくされるのです。
 また、私たちの過去はすべていやされ、過ぎ去ります。地上にあって私たちは時に涙し、悲しみのゆえに叫びます。また、生涯消すことのできないような傷やトラウマ、怒りや憤りがどうしても残っています。ダビデの生涯では息子アブシャロムが謀反の後に殺されます。家族に起こった深い傷がありました。それらすべてが新しくされるのです。
 そこではみな王として治めます。地上では王がばかりでは争い合います。しかし、誰もが王とされるということは自由です。一方で愛が支配する光の御国であり、仕えることが喜びなのです。さながらエデンの回復です。
 私たちはこの天の御国、新天新地を見上げ、「みこころが天で行われるように地でもおこなわれますように」と祈りつつ、今生きる場がすでに御国となるべく生きるのです。そこには必ず神の御助けがあり、祈りにこたえて私たちに希望と喜びと平安が与えられるのです。さぁ、上を向いて歩こうではありませんか。