「主が御霊によって加えてくださる」使徒2:1-4, 43-47

 ペンテコステは、目に見えない聖霊なる神が見える形で働かれた「しるし」です。その聖霊は何を導き、どのようにして救いを導かれるでしょうか。
 「罪を罪と感じ得ないことが、最大の罪なのだと知った。」とは、三浦綾子さんの言葉ですが、罪とは何か。それはいのちの造り主である神から外れた生き方です。神中心であるべき人間が、自分中心になっている。そして、その現れとして、様々な罪の行いをするのです。聖霊は私たちに常にこの一点、罪を知らせ、悔い改めてキリストの贖いに心向けさせてくださるのです。
 聖霊は、悔い改めた人たちとともにあって、その歩みを導いて御霊の実を結ぶようにしてくださいます。悔い改めて新しくスタートしたはずの私たちは「赦された罪人」に過ぎません。私たちの心に「肉の思い」がよぎることを教えて下さるのも御霊です。その時に、その促しと導きにお従いすことが私たちに導かれていることです。
 そして、そう生きる者たちに、麗しい教会という愛の交わりを与えてくださいました。教会はキリストにある愛のよき証をして、民全体から好意を持たれ、そこに「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった」のです。
 私たちはこのペンテコステの日のできごとにように、主の宣教が進むことを祈り願っています。ここに、その原則があります。それは、主の御霊に導かれた群れが、御霊に導かれて愛の交わりを建て上げ、それが周りへの証となっていくところに人が加えられていくということです。もちろん、リバイバルという特別な時も神は与えてくださいます。それを祈りながらも、まず、自分から、そして共なる兄弟姉妹とともに、我が身が、私たちがキリストの愛に満たされ、周りにあふれ出る恵みとなるように祈りましょう。