「主のみこころを求める」1サムエル24:1-22

 巨人ゴリアテを倒してから、ダビデの快進撃が始まります。連戦連勝のダビデに女たちが「サウルは千を討ち、 ダビデは万を討った。」と歌い交わすのを聞くや、サウルの心は嫉妬に狂います。そして、手元にあった槍をダビデに投げつけるのです。そして、この日以来、ダビデをつけ狙うようになります。
 その姿はカインの心とよく似ています。彼がアベルに嫉妬を覚えた時、神は「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである」と問いかけられました。しかし彼は耳を閉ざし、アベルを殺します。神のみこころを求め、それに聞き従うことを求めるのか、人の間の評判や比較に生きるのか。サウルも、また私たちも同じことが問われます。
 一方、追われるダビデは辛い心を詩篇57篇に歌いました。そして、千載一遇のチャンスがやってきます。身を隠していた洞穴にサウルが用を足しにやってくるのです。しかし、彼は「主に油注がれた方に手は下せない」と上着の裾をこっそり切って身の潔白を訴えます。しかも、それですら心を痛めるのです。サウルは涙ながらに謝罪をするのですが、それも一時のこと。この後もダビデを執拗に追い回し、ダビデは敵であるペリシテに身を避けなければならないような状況に追い込まれます。
 「『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」という山上の説教の教えをダビデは生きているのです。そうです。ダビデの末であるイエス様はそのために十字架でいのちさえ捨ててくださいました。そして、その御跡に従って生きることこそ、主のみこころなのです。人と横並びの世界に生きている限り、私たちは嫉妬や憎しみから離れられないでしょう。しかし、十字架の主を見上げるのです。