「互いに熱く愛し合え」1ペテロ1:22

 私たちのいのち、それは互いに愛し合い、一つになることによって神の御栄えを表すために造られました。ですから、そのことに一番の喜びを見いだすのです。しかし、そこに罪が入りました。神に従うことを喜ぶ、別の言い方をするならば、「私よりもあなた」であった人が、「あなたよりも私」を選んだ。それがゆえに罪の連鎖、そのなわめに縛られて、互いの愛を失ってしまったのです。

 しかし、ニコデモに主イエスが語られたように、新しく霊によって生まれる。神をお迎えすることです。それに導かれて生きる者になるとき、真理に従って、たましいはきよめられて向きを変えます。偽りとは演技です。どこか私たちは自分に損がないように表向きの顔を演じたりするのですが、そこから主イエスの愛を教えられて、互いに愛し合う者とされたのです。

 互いに愛し合えと言われるとき、ペテロは最後の晩餐での洗足の出来事を思い起こしたことでしょう。そのときイエスは「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と教えました。言われたことがよくわからなかったペテロにそれ分かったのは、十字架と復活の後です。「私よりあなた」、そのためにいのちを捨てる愛だからです。

 「熱く」、それは「切に」とも訳されることばでゲツセマネの祈りでのイエスの祈りに使われています。イエス様は祈りの格闘をします。自分を捨て、自らを明け渡すチャレンジです。そこでイエスは祈りに勝利します。私たちが問われているのは、実にそのことです。熱く、日々、愛の戦いをしていますか。祈りのうちにイエスの十字架に従う歩みを、内に住まれる霊に明け渡していますか。