「人を受け入れ、励まし、育てる」使徒9:20-31

 サウロはダマスコの途上で主に打たれ、劇的な回心をします。しかし、熱心な迫害者であった彼が簡単に皆に受け入れられたわけではありません。ダマスコではアナニヤが特別な導きによりそれをなし、また、ダマスコを追われた後のエルサレムではバルナバがそれをしました。バルナバはもともとヨセフという名でしたが、彼の人となりが慰めの子という名として呼ばれるようになった人です。
 さて、私たちが互いに成長していくためには何が必要でしょうか。エペソ人への手紙の4章でパウロは「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい」と語りました。アダムとエバが罪を犯したとき、彼らはいちじくの葉でそれぞれを隠し合いました。互いの間に壁が生じて、偽りで覆わなければ直視できない罪の関係になってしまったからです。それ以来、人には罪の連鎖、不理解の連鎖、交わりの断絶が続いているのです。ロマンチックな楽観論で人はこれを乗り越えられません。
 パウロは、それを乗り越えるために「ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならば」と語りました。私たちの古い人はいつまでもいちじくの葉を必要としますが、キリストにあって新しい人を着た私たちは、十字架でいのちを捨てたキリストに従って、受け入れ合う真実を語れるはずです。それが福音です。
 パウロは後にそのように語ったのは、かつては敵であった彼を受け入れ、励まし、育てる人たちによってでした。愛をもって、どんなにか大きな犠牲を払って下さったか。それに動かされた人たちが、主にあってそれをなしていったときに、人は造りかえられ、実を結ぶのです。さあ、あなたが受け入れ、励まし、育てるべき人は誰でしょう。

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