今、私たちは教会内外からも、一致団結してこの難局を乗り越えなければという流れの中に置かれています。一方で、その一致の土台がどこにあるのかということを改めて問わなければなりません。いままで、なにげなく過ごしてきたことが吟味され、問われているのです。エペソ書の問いかける神のことばを聞きましょう。
第一に、私たちは一人一人、神のご計画によって選び出された者です。主は十字架の贖いのゆえに、私たちを聖く傷のない者にしようとされました。一致を妨げるのは、その恵みがわからず、しょせん罪人、やっぱり罪人と自他を見ることです。「私」に対する神の恵みを信じることから一致は始まるのです。
第二に、神は私たちに隣人を造られましたが、私たちは壁を作り、敵を作る者です。自分が我慢して飲み込めば、譲り合って妥協すれば、あるいは正しいか、正しくないかと白黒つけないと気が済まなかったりします。しかし十字架で自分を捨て、平和となってくださったキリストこそが、平和の基なのです。
第三に、神のみこころであり奥義は私たちがみな、キリストにあって一つからだになることです。それは、私たちが人知をはるかに越えたキリストの愛を知り、神に似る者になることによってのみなされるただ一つの救いの道、ただ一つの本当の愛の道なのです。
そこで、ようやく4章で語られている具体的な勧めが意味を持ちます。互いを受け入れ合い、平和のきずなをつくることです。そして重ね合わせてもう一度、「からだは一つ、御霊は一つ、望みが一つ、主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、そして父なる神は一つ」という7つの土台のもとに、私たちは一致するのだということをしっかりと胸に刻みましょう。
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