この箇所は、「御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。」(1:16)「このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。」(2:6)とある、キリスト者の生き方、その向かうところが常に「上にあるものを求め、思いなさい」という勧めです。
その具体的な第一が「殺す」ように命じられている欲です。それは神ならぬものを第一としてしまう偶像礼拝だとパウロは教えます。だから強い言葉で「殺せ」というのです。平和ならざるもの、それは欲とヤコブ4章のことばを私たちは学びました。それに続いて捨てるべきもの、それは私たちの心から出てくる悪しき思いと行いです。同様に、それはさばく心と赦せぬ心、自分の目に梁が入っていることに気づかない私たちの罪です。それはゴミのようです。捨てても捨ててもまた出てくる。だから心のゴミ箱を空にしなければならないのです。
その第二は、すでに主イエス様の十字架とよみがえりによって「新しい人を着た」のです。新しいものを着たなら、それにふさわしい立ち振る舞いをするのです。そして第三に、すべての隔たりと断絶が取り払われました。そこには国家も民族も、文化も誇りも、立場も差別も越えて、キリストにあって一つとされるのです。ここにこそ真の平和の道があるのです。
この一年、何人かの兄姉を天に送りました。私たちの地上の命にも限りがあり、やがて天に迎えられます。子どもたちは多くを得ます。年を重ねると一つずつお返ししていきます。そして、最後にはすべてを任せ委ねることしかできなくなります。そのときに、できない不平不満をぶつけるような生き方ではなく、主に対しても、人に対しても感謝溢れて天に帰るには、古い人を脱ぎ捨てて、思いを新たにしなければなりません。年の最後に心を整えて新しい年を迎えようではありませんか。