「喜び、祈り、感謝」第一テサロニケ5:16-18

 新しい年、このみことばを掲げて歩みを始めます。喜びということばはギリシャ語ではカイロ―、挨拶、Greetingとも訳されます。私たちの心は挨拶に表れます。ですから処世術として人間関係は挨拶から始まるなどと言われるのですが、その心がしばしば健全ではいられなくなります。

 マルタとマリヤの話(ルカ10:38~)はよく知られた話です。マルタのはじめの動機は単純・純粋でした。喜んでお迎えして「おもてなし」を始めたのです。ところがだんだん自分だけ一生懸命やっていることがバカらしくなってくるのです。私たちの心にもしばしば起こることです。そして、イエス様へ喜びではなく、不満をぶつけるのです。イエス様は彼女のご機嫌をとったりはしません。マリヤがしていることがいいという比較ではありません。ズバリ問いかけるのは、その心の在り様です。この箇所では、気ままな者、小心者、弱い者、そんな人たちと励まし合えと勧められています。その中にあって、自分をあわれむ不平不満ではなく、まっすぐ主に仕えることこそ、喜びの秘訣なのです。

 絶えず祈り。それは主イエスとともに生きることです。マルコ4:35~には嵐を静めるイエスが出てきます。弟子たちは「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」と助けを求めますが、それは舟を立て直す手を貸して!という叫びです。イエスが嵐を鎮めたとき、「いったいどういう方なのか」と恐れに包まれます。後にはっきりします。一切のことに権威をもっておられる生ける神です。この一年、私たちにも嵐が襲うことがありましょう。しかし、このお方を信じる信仰、絶えず祈り、揺り動かされることのない歩みをしたいのです。そして感謝をささげて主に栄光を帰す歩みを。

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