「宝物は何ですか?」ルカ12:13-34

「本質における一致、行動における自由、あらゆることにおける信頼。」それは私たち人の交わりにおいて求められる真実です。その一致とは別のことばで言えば、あなたがたの交わりのおいて、宝だと考えるものは同じですかという問いです。教会だけではありません。夫婦も家族も、おおよそ人が生きるところで問われることは同じです。その本質、宝が一致しているところにおいては自由と信頼が生まれます。そうでないところでは、プライド、体面というようなものがすべての行動原則になり、自分に対しても人に対しても窮屈な、あるいは強いるような生き方しかすることができないのです。

 さて、その宝についてこの箇所は私たちに問いかけます。たとえ話をしてイエスが伝えている三つ考えてみましょう。第一は「私のいのちは私のものだ」という思い違い、第二は「ものがあれば大丈夫だ、安心だ」という勘違い、第三は「楽しみ生きること、自己満足、自己充足、自己実現が人生の目的である」という思い違いです。

 昨年、私たちは東日本大震災を経験し、これらが一瞬にして取り去られるものであることを知りました。いやそのときには思ったと言った方が性格かも知れません。イエスは日ごとの糧を祈ることを通して、主が支えたもうことを信じるように招いておられます。衣食あれば満足すべき。むしろ、与える豊かさと喜びに生きるように、愛に生きるようにと招いておられます。

 過ぎ去るものにではなく、永遠に価値あるものに目を留めるとしたならば、私たちの宝とすべきものは、「神の国とその義」です。あなたの宝は何ですか。あなたの心は何を求めていますか。いのちの与え主にして救い主イエスこそ私たちの宝です!

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