「幸せと不幸せに生きる幸せ」ルカ11:27-28、ゲスト説教

 私たちが願う幸せとは何でしょうか。ある人にとって、それはたくさんのお金だったり、尊敬される地位だったり、良い関係だったりします。それは確かに幸せを感じさせるものでしょう。しかし、それで満足しきった人はいません。それら地上的価値基準による幸せは、限定的であり部分的であり欠けがあるものだからです。人をその命の奥底から幸せにすることは残念ながらできません。

 ルカ11:27に登場する婦人は、イエス様のすばらしさを体験して、イエス様の母を幸せ者だと叫びました。その婦人の言う幸せは地上的価値基準によるものです。その婦人の言葉に対して、イエス様は「いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです(ルカ11:28)」と言われました。ここに聖書の示すまことの幸せがあります。この幸せは、悲しみの中でも(マタイ4:4)、試練の中でも(ヤコブ1:12)、義のために苦しむときにも(1ペテロ3:14)有効なのです。なぜなら、たましいが幸いだから(1ヨハネ1:12)です。それは、キリストを信じるすべての者に与えられている幸いです(ローマ4:7)。

 ゆえに私たちは、どんな環境や状況や関係の中であっても、幸せの中を歩めるのです。幸いな者として、喜びと感謝をもって、神のみことばを聴き、実行していくことができるのです。