子どもたちのために祈ろう

 感謝なことに、ここのところ毎年結婚式があり、若い夫婦が教会に加えられました。その兄姉は両方があるいは片方がクリスチャンホームの育ちです。この教会での教会生活が30年を越えた私は思うのです。「あぁ、あのかわいかった子どもたちが大人になったのだなぁ」と。一方で、自分は若い人たちから見ればまぎれもなく「おじさんだなぁ」と。

 私たちは黙っていても年をとります。自分では若いつもりでいても、確実に年を重ねていきます。そんなに時が流れたなんて思えなくても、瞬く間に時は過ぎていき、赤ちゃんは子どもに。子どもは青年に。青年は壮年に、壮年は中高年に、中高年は老人になります。戻ってやり直したいと思っても、残念ながら戻ることはできません。

 30年前の教会の写真を見ると、「みんな若い!」と思います。私たちの教会はどちらかと言うと若者の集まりでした。社会全体もそう感じるのですが、今はいろいろな年代の兄姉がいます。そして、今から10年後、20年後、30年後がどうなっているだろうかと考えます。今がこうなっているとはわからなかったように、まだぼんやり漠然としています。しかし、確かに分かっていること、それは今の子どもは未来の教会の大切な器だということです。それは今経験していることです。

 世代は交代します。必ずその時はやってきます。残念ながら逆戻りはできません。今、私たちに与えられている子どもたち、この子どもたちを大切に育てること。それは私たちの大切な未来であることをいつも心に留めておきたいと思います。そして、心を込めてこの子どもたちのために祈りたいと思います。子どもたちを育てるために今、いろいろ工夫をしています。これぞ!などという王道はありません。ともにそのために祈りを合わせましょう。