「弟子を遣わす」マルコ6:6b-13

 イエスは12人を遣わします。それは、旧約の12部族に与えられた世界を祝福するというご計画の延長にあります。民族としてのイスラエルを超えて、信仰によるイスラエル、神の国の民を新たに立てようとなさった。そのさきがけがこの12人だったわけです。誰一人として、完全な信仰を持ち得ていたわけではありません。失敗や、困難、欠けや不足、それを訓練され、整えられて、その奉仕は、世界への宣教と導く、その先駆けなのです。

 彼らは二人ずつ遣わされます。それは、人が一人では立ち得ない者であり、支え合い、励まし合ってその奉仕をするように、その二人が六組に分かれますが、それがまた、互いに励まし合う。それが、さらに教会と教会という交わりに拡がって、あるいは世界へと拡がって用いられる器とされていくためです。

 さて、弟子たちを遣わすにあたって、イエス様は次のように命じました。「旅のためには、杖一本のほか何も持たないように…」裸一貫で、何も持たないで出て行きなさいと。それは、主が必要を備えてくださるのだということを信じる実地訓練です。

  ここで弟子たちが委ねられた第一の使命は悔い改めを伝えることです。そして、受け入れないところでは足の裏のちりを払い落としなさいという厳しい迫りのことばが出てきます。震災8年を迎えます。あのとき、私たちは主イエスを信じる信仰のみが唯一の救いだと迫りを受けました。そして、同時に、このような問いかけを多くの人に主が迫ってくださるに違いないと思いました。しかし実際には、人々は日常に埋没して、問いかけを真摯には受け止めていません。そして、厳しい「悔い改め」を迫ることには躊躇を覚えることが少なくありません。しかし、イエスの弟子たちの派遣には、その厳しさを求められています。御霊によって励まされて自らを献げようではありませんか。