ヤコブに最期の時が近づいていました。ヨセフは二人の息子たちを連れていきます。ヤコブは「力を振り絞って床の上に座」(2)りました。そして、最愛の息子であるヨセフに特別の祝福、遺言を残そうとするのです。そこで注目するべきことばは「永遠」です。多くの人は、その生涯の評価を自分の満足いくものか、あるいは周りからの評価、賞賛や名声に求めます。しかし、それらすべては時代とともに忘れ去られていきます。
「永遠」の約束を与えてくださった約束の神を信じる信仰、イスラエル=神ご支配したもうという名の祝福を後々までに与えることこそ彼が残したことです。そして、それを実際に表すのが、マナセとエフライム、このヨセフの二人の息子たちにルベンとシメオン、彼らは長男と次男ですが、それと同じように、子としての祝福、つまりヨセフに他の兄弟の倍の相続を与えることなのです。
ヤコブはマナセとエフライムに手を交差させて祝福しようとします。ヨセフのことばにあえてそうしているのだと言うのです。世の順番というものは長男が一番、次男ば二番、そしてそれに続くのが通例です。あるいはできる者が一番、二番と自然、順列を決めていくものです。
一方で、聖書が示す神の思いは、「ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」(ガラテヤ3章)とあるように、すべての差別や順列などは神の前にはないのです。
世は相対的です。男女から民族の平等にしても、肌の色やことば、持つ者と持たざる者、さまざまな差別を生まれながらに強いられています。それを取り払おうという平等への叫びが聞こえてきます。神の祝福は人の順列とは関係なく与えられる恵みだということを常に意識するところから、いや、それを正していただくことから生まれるのです。