「心の中の隠れた人柄こそ」1ペテロ3:1-9

 ペテロはここにキリスト者の生き方として夫婦の問題について教えます。「妻たちよ。夫に服従しなさい」とは、時代が違うと受け取られるような教えに見えるかもしれませんが、そうではありません。表向きの男女、夫婦の関係が変化したかのようにみえても、本質的には昔も今も変わりはないのです。

 ペテロは「同じように」と始めます。奴隷に対して、あるいは夫に対しても「同じように」と教えますが、そこには共通の原則があります。自由人としてかつ神の奴隷、しもべとして自ら仕えるという原則です。夫婦関係、そこには、束縛されるような関係が生じやすいところです。あなたと私がごっちゃに絡まり、縛られたような思いを持つ妻たちは少なくありません。しかし、神の僕として自ら仕える生き方が求められているのです。

 そしてそれを、「柔和で穏やかな霊という心の中の隠れた人柄」と言います。私たちは、相手が変われば解決すると思います。しかし、自らがこのような者に整えられることこそが鍵だというのです。柔和とは山上の説教で教えられている柔和、そして、「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」と言われるイエスの柔和。そのくびきをともに負って、イエスとともに十字架の愛に生きるのです。

 サラは、アブラハムに従います。「男はロマン、女は現実」とはよく言いますが、その歩みは波瀾万丈、苦労多い歩みでした。私は思うのですが、それとイエスの弟子になったペテロ、網も舟も、家捨ててイエスに従った彼の妻、それは同じ仕え従う歩みをし、ここで教えるペテロとの結婚生活をしました。教えながら、それを生きたペテロの証し、私たちも倣う者になろうではありませんか。