「心の大掃除をしよう」ガラテヤ6:1-5

 今年一年の歩み、数えてみれば様々な出来事がありました。年初に掲げた「御霊の実」のみことばを思い起こしながら、振り返って心の大掃除をしたいと思うのです。この5章のはじめは「自由を与えられた」と語られています。あなたは自由だったでしょうか。何かに縛られた歩みだったでしょうか。

 「誰かが過ちに陥った」とき、その真価が試されます。政治を批評すること、世にあってクレーマーになることは簡単です。ところが私たちにとって最も身近な交わり、家族や毎日会う人、近ければ近いほどこのようなときに困難です。柔和な心とはどのような心でしょうか。それは元々、荒ぶる獣が手懐けるという意味を持っています。私たちの心は獣のように怒り、憤り、人を責め、裁く心で荒れるのです。それを静めることは容易なことではありません。

 その鍵は「御霊の人」です。ヨハネ15章にはぶどうの木のたとえ話がでてきます。キリストにとどまるのが「御霊の人」です。キリストの十字架を仰ぎ見るのです。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。それを仰ぎ見るのです。

 人が造り変えられるのには多くの時間、5年、10年、20年の歳月がかかります。生まれながらもっている気質があります。傷つけられた闇の部分があります。互いにその重荷を負い合うのです。それは主が教えられた祈り、「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」という祈りから生まれるのです。心から主に赦され、愛をもって赦し、「ありがとう、ごめんなさい、ゆるします」という何にも縛られることのない新しい心をいただいて新年を迎えましょう。

録音データを聞く