「捨てるべきもの、慕い求めるべきもの」1ペテロ2:1-9

 このペテロの手紙、一章の初めを読むと、宛先が書かれています。各地に散った少数派のキリスト者たちが励まし合って信仰生活を送っている。今も昔も、場所が変わっても同じなのです。

 「すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨て」ることをペテロは奨めます。実に世の流れはこのようなものに満ちています。この一年半学んできた山上の説教、5章の後半には世の慣わし、「あなたがたは聞いています」という生き方、神のことばに従っているようで偽善が入り込み、それすら区別がつかないことがあります。「みことばの乳」によって私たちはそれを知らされ、「主のいつくしみ深い」こと、十字架の愛に立ち返り、「主のもとにきなさい」とあるように、主とともに生きるように招かれているのです。

 さて、私たちが求めるべき姿は、霊の家、つまり教会を建て上げること、そして、私たち自身がその一部分をなす生ける石となることです。主は礎石、家を造る最初の基準になるべき石、あるいは要石とも訳されます。それはアーチ建造の際に最後にいれる石です。石切場で正確に切り出されそこにはめ込まれます。どちらにしてもなければならない石です。それは、一方で家を建てるものたちが捨てた石。世の支配者たち、王たちが建てようとした国という大きな家を指します。一世風靡した巨大な帝国も、跡形もなくなってしまうのがが世の常。私たちはこのキリストによって霊の家、神の国を建て上げるのです。

 なお、私たちは「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」。世にあって、主の恵みを宣べ伝える光栄な務めをいただいています。主を求め、与えら得た務めを喜び果たそうではありませんか。