「愛は近きより」。カトリックのシスター渡辺和子さんのことばですが、とても大切なことを言い当てています。最も身近な人を愛することができずに愛を語ることはできません。1コリント13章は愛の章としてよく知られた箇所です。そうありたいと願いながら、難しいと感じるのが私たちです。この箇所、賜物を語る中での挿入です。私たちのすべてが神からの賜りものであることを覚え、互いにからだとして仕えることが教えられています。ところが私たちは自分の能力を誇り、努力を誇ります。認められること、賞賛されることの誘惑から自由になれません。
愛するとは一つになること。永遠から永遠まで三つにして一つであられる神が、その素晴らしさを分かち合おうと私たち人をお造りになったのです。だから、いつまでも残るもの、その中で一番すぐれているのは愛なのです。愛の源である神のもとに私たちはやがて召されます。一方、地上での歩みは、その一部分、限りあるものなのです。
限りある一部分ではあっても私たちはそれを喜び生きるよう招かれています。どこから始めるべきでしょうか。「愛は近きより」。片手で数えられる人を愛することが私たちがなすことではないでしょうか。片手ならば自由になります。両手では受け止めること、支えることで精一杯です。
愛の喜びを生きるために、私たちが見上げるべきは、永遠の神の愛です。神はその愛のゆえ、罪深い私たちをも見捨てることなく、救い主を送って下さいました。イエスの生涯と十字架。そこに表された愛がまさに、この章の語る愛でした。その姿をいつも心に焼き付け、同じように愛することを、最も身近なところから、そしてそれが重なり重なり、小さなところから始めようではありませんか。
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