「使徒の働き」を読み解く鍵は、1:8の「エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、および地の果てまで」及ぶ聖霊なる神の働きです。その中で、地の果てまでというとき、その先駆けがこのコルネリオの救いです。
ノアの洪水の前、神は人の罪と悪をご覧になり、「人を造ったことを悔やみ、心を痛められ」ました。ノアの家族をあわれみによって救い出した神は、一人の人、アブラハムを選び出し、神の民の父祖としました。それは世界の祝福の基とするための選びでした。
ところが恵みによる選びと使命は、やがて「我が民こそ選びの民」という誇りとなってしまいました。初代のキリスト者たちも、選びの民であるユダヤの救いだと思っていたのです。イエスの誕生の時にも、「異邦人を照らす啓示の光」と言われていましたが、彼らはまだ理解していませんでした。
さて、主はコルネリオには幻のうちに導きを与え、同時にペテロにも現れます。不思議な夢に戸惑っているところに御使いが「ためらわずに」と促すのです。今まで当たり前だと思っていたこと、でも本当にそうですかと問いかけなければならないことが私たちにもあるのではないでしょうか。
私たちの周りにも彼らの選びという誇りが生み出す壁と同じように、私たちにも壁がないでしょうか。男と女、夫と妻、親と子、上司と部下、使う者と使われる者、力を持つ者と従わせられる者、世代のギャップ、民族と民族、国と国。エペソ2章では、「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし…」と語られてます。その一歩がこの出来事でした。
あなたもキリストにあって、壁を砕かれた者として、平和を生みだそうにと使命を委ねられています。愛と赦しによって。