ここで一章が終わります。その内容を簡潔に言い表すとすると、次のように言うことができます。「神の恵みによって選ばれた人たち、あなた方は世にあってはごく少数派、様々な困難と試練に今はおかれている。でも、十字架と死に復活をもって勝利してキリストこそが私たちの希望だ。だから、やがて来たるべきキリストの現れの栄光を待ち望み、聖く生きよう。」
その生き方とは、「互いに熱く愛し合え」という生き方、イエス様が私たちに教えてくださった新しい戒めに生きることです。私たちは熱い思いを持ちますが、次第に冷めてしまいます。それは誰か、カリスマの存在ゆえだったでしょうか。あるいは仲間の存在でしょうか。若き情熱でしょうか。最後は一人一人、その信仰がどんな土台の上に立っているのかが問われるのです。
「草はしおれ、花は散る」ように、私たちの期待や計画、頼りにしているものはみな失うものです。内村鑑三不敬事件、彼は教育勅語の奉読式で敬礼をせずに、ほんの少し頭を下げただけ。それが不敬だと叩かれ、病に倒れ、妻を亡くし、大学を去り、行き場を失います。一時は勢いがあるのです。美しく咲き誇るのです。しかし、頼りにしていた一切を失ったとき、このみことば、永遠に立つと言われるみことばにしか、よりどころとするものはないのです。
この教えの通りに生きるなら、古い、自分の努力や願いではできるものでもない、思いや心の向きに左右されるものでもない、私たちの内に住んでくださる御霊が、私たちを変わらない神のみことばに向かわせ、新しい愛の人に造り変えられるのです。それこそが私たちの土台です。このみことばにお従いしようではありませんか。