「『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。」律法学者やパリサイ人、彼らはこの教えを表向きの型、あるいは行いの問題だけとして教えていました。人々もまたそのように聞いていたのです。一方でイエスは見えない心の中までを探られました。ここで問われることは何なのでしょう。
世界初の殺人事件、それはカインとアベルの事件です。それはカインのねたみの心、面白くない!思い通りにならないという心が動機でした。神は「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである」と言われますが、彼はアベルを殺してしまいます。殺人という罪もその始まりは心の問題なのです。
イエスが問うたこと。それは心の中のこと。人の目はごまかせても、神の目には裁かれるべきものだということです。そして、その基準で裁かれるならば、私たちはみな例外なく罪人です。ハイデルベルグ信仰問答ではこう教えられています。「神は殺人を禁じることによって、われわれに、嫉妬、憎悪、怒り、復讐などを殺人の根として憎み、これらのことは、みな神の御前においては、ひそかなる殺人であるということを、お教えになっているのであります。」
残念ながら私たちの内側から起こる心の思いを封じることはできません。しかし、カインが問われた戸口で待ち伏せる罪に打ち勝つことはできます。それは十字架の赦しの恵みによってのみできるのです。「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:32)のみことばを心に留めましょう。