「無からの有」創世記1:3-5, ヘブル11:1-3、溝口捷支師

 神は何も存在しない無から創造なさるお方です。人は材料があって何かを作り出す英語で言えばMakeはできても、何もないところから創造Createすることはできないのです。

 ヘブル1:1には「神はいろいろな方法で語られた」と書かれています。啓示ということばは本来、覆われていたものが覆いを取り払われて明らかにされるという意味を持っています。神はことばを通して、またノアの洪水、戦争という欲から出ることを通して、また周りの人を通して、王を立てることを通して、多様な方法を通してご自身を啓示されましたが、人はそのみ旨を悟ろうとはしませんでした。

 同じヘブル2章では、「神は御子によって語られた」と証言しています。御子イエスはことばのみならず、そのご生涯を通して人として生活をし、ご自身のためではなく、人の罪のために死に、罪からの救いを与えてくださって神を啓示したのです。

 さて、アダムからローマの迫害の時代に至るまでの信仰の継承者たちの系譜が11章に出てきます。彼らが信じたことは、この世界が神のことばによって創造されたということです。創世記の1:3には、創造のみわざが神のことばによることが書かれていますが、そこには神の摂理と知恵と配慮と決断を見ます。さらに神は創造しただけではなく、それを保っておられます。

 神がそのように創造し保っておられるのなら、地上には無駄なものなど一つもなく、私たちのいのちの価値を思い起こさせます。役に立たない人などなく、私などいなくてもなどと存在の価値を見いだせなくとも、神が私を造ってくださった。そのことに大きな意味と価値を見いだすことができるのです。神のことばに聞き、従う歩みをしましょう。