「王の王、主の主を讃える」黙示録19:1-16

 新しい年を迎えて年間聖句を掲げました。キーワードは賛美。この黙示録では「主の主、王の王」として勝利を讃えます。救いの完成の時です。一方、私たちの今はまだ未完成。その狭間を生きる私たちが主の祈りを鍵に賛美するべきことを覚えたいのです。

 「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの」をもってこの章は始まります。それは「御名があがめられますように」という祈りです。アブラハムに現れた主は全能の神とご自身を顕されました。99歳の彼に現れ、不可能を可能に、その子イサクが与えられました。それを献げよと求められた時、彼はためらうことなくささげます。私たちも全能の神を信じ、その働かれることを祈るなら、それは神を讃える歌となるのです。

 私たちには地上にあって多くの戦いがあります。ここ黙示録では大淫婦がさばかれ、彼女の煙は永遠に立ち上ると勝利の宣言がなされています。それは王なる主イエスの「血に染まった衣」、十字架の血潮による贖いゆえです。「御国が来ますように」と祈るとき、それは罪に汚れた、ふさわしくない者が贖われた。その愛に満たされ、愛の御国の宣教のために祈ることが私たちの祈りです。

 黙示録の背景には皇帝礼拝を拒み、激しい迫害にさらされたヨハネと教会の状況がありました。ここの勝利宣言とはほど遠い現実です。しかしヨハネは既に主イエスは世に打ち勝った勝利と宣言し、その花嫁の姿を見せられます。それは真っ白なきよい麻布、聖徒たちの正しい行い。心新たに、主の愛にこたえてキリストの花嫁にふさわしく身を整えることが求められているのです。それこそ、「みこころの天で行われるように地でも行われますように」と祈ることです。主の御前に自ら新しい人を着て整えようではありませんか。