「王を迎える」マルコ11:1-11

 いよいよ、イエスはエルサレムに入城します。ホサナとは「どうか救ってください」という意味です。人々の期待はダビデの国の再興です。一方で、イエスは「神の国の王」として都に入られたのです。
 世の王たちの姿、それは旧約聖書に出てきます。イスラエル最初の王はサウルです。神のあわれみによって立てられた王でしたが、その地位を手にすると、それを守ることに終始します。ダビデの始まりは謙遜でした。しかし、国が安定して祝福を受けると、心のおごりが表れます。もちろん熱心に悔い改める王ではありましたが、人には限りがあります。続くソロモンは大成功が慢心を産み、豊かさに惑わされて道を逸れます。新約時代の王はヘロデ大王です。彼は自分の身を守り、国を繁栄させるためには手段を選びません。王の持てるもの、それは権力とそれを盾にした武力です。そして、悲しいかな、その向かうところは自らの益です。
 イエス様のエルサレム入城はゼカリヤ書に預言されていました。そこには「柔和」ということばがキーワードとして出てきます。柔和、それはただ単に穏やかで寛容というだけではなく、犠牲と忍耐をもってことを受け止めることを意味します。これからイエスが向かう先、神の国の王としてなさることは、十字架でいのちを捨てること、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」(1ペテロ2:24)とある受難のみわざです。
 ホサナ、救い給えとイエスを迎えるあなたの心はどうでしょうか。己の王座に居座り、「オレが、私が」と振りかざすことでしょうか。それとも、イエスを王としてお迎えして心と思いを委ねて、柔和に愛をもって仕える生き方をすることでしょうか。心からイエスをお迎えしようではありませんか。