「神のかたちに」創世記1:26-31

 あなたは自分が好きですか。あるがまま受け入れているでしょうか。姿形からはじまって、才能や能力、生まれ育ちや性別、年齢、学歴、仕事・・・。自己肯定感とも呼ぶその多くは幼い頃の家庭環境が影響している場合が少なくありません。ある人は親に捨てられたため、「捨てられてしまうほど価値のない自分」との思いが根に残り、その負の連鎖を断ち切ることができません。

 人の創造は「さあ、人を造ろう」と書かれています。「さあ」と「造ろう」は元々一つの言葉ですが、あえてそう訳しています。天地創造のこれまで、光から動物に至るまでは「あれ」や「生ぜよ」でした。それは、神が人のために場所を備え、食物を備え、エデンの園を守り、耕すという使命を与える準備です。いわば人のための天と地です。それはちょうど赤ちゃんの誕生を心待ちにする親と同じです。人は神が大きな期待と喜びをもって造ってくださった。だからこそ、意味がある、価値があるのです。

 そして、人は神のかたちに造られた。それは、三位一体の神が永遠から永遠にそうあられるように、自ら考え、自ら決め、自ら行動する人格をもって、また互いに愛し合い一つとなる存在として造ってくださったということです。だから、どこからも束縛されない自由があり、一方、喜んで相手のために自分を差し出す喜びがあるのです。

 一方で、私たちは神の創造の喜びから離れています。地上の生涯の間、その戦いが続きます。それは私たちの罪ゆえ、手放せないものがあり、負の連鎖との戦いがあるのです。しかし、神が私を造ってくださった。その土台に立ち返るときに、神が心と思いを守ってくださり、その戦いに勝利する力を与えてくださる。そう信じて進みましょう。

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