「神のメッセージ」ヨハネ1:1-18

 心は言葉にしなければ伝わらない。言葉は行動によって証明しなければ意味がない。しかし、私たちはときに思うのです。口先ばっかりと。神は愛です。神はその愛の思いを時に時に、語ってきました。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ31:3)「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。」(ホセア11:8)しかし、人は、マルコ12章にあるぶどう園の主人のたとえ話のように、ことばを拒み続けるのです。一方、ぶどう園のたとえ話の最後に遣わされた息子が行動で表す愛のメッセージです。

 神は「天と地を創造した」、そのはじめ以前に永遠から永遠に三位一体の交わりの神です。ですからヨハネは「はじめにことばがあった。ことばは神であった・・・ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とその神の愛のことばと行動を伝えているのです。遠くから見下ろす神ではなく、私たちと同じ限りある人として受肉したのは痛みを共に担うためです。

 それでも世はやみです。信仰者は、「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか」(詩篇77:7)と祈らざるを得ないようなところに置かれます。しかし「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」とあるように、十字架でいのちを捨てて愛を全うしたとき、神の愛がすべてに勝利したのです。そして「その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」のです。

 だから私たちも、「ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか」(3:18)と愛に生きることを招かれているのです。

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