「神は放ってはおかれない」ヨシュア10:1-14

 私たちの歩みには様々な戦いがあります。イスラエルの戦いから、神はどのように私たちに関わってくださるのかをみましょう。

 イスラエルは奴隷であったエジプトから救い出され、いよいよカナンの地を占領していきます。隣国との争いに戦い慣れたカナンの住民にすればイスラエルは無力です。その彼らがエリコ、アイを陥し、ギブオンは和を講じた。それを耳にした南の王たちは脅威を感じて同盟を結んで侵攻してきます。ヨシュアを頭とするイスラエルは夜襲をかけて彼らと戦います。そこに主が3つの助けを送るのです。一つは彼らを撹乱します。第二に雹を降らせ打ちます。第三に日と月の動きを止めるのです。「主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった」という出来事でした。

 私たちにも戦いがあります。力を持つ者が暴力を振るう世の中です。人は言葉できちんと話し合い、意思疎通ができれば暴力は必要ありません。ところがそれができず、無理矢理に自分の意思を通そうとするときに暴力が生まれます。国と国の戦争から、身近なハラスメント、虐待やDVもみな同じ原理です。私たちはどう向き合ったらよいのでしょう。

 試みにあわせず…と、あるいは「主よ。いつまでですか」と詩篇の作者が祈るように私たちはうめき、そして声をあげます。主はこの日のように、ことを動かすことがおできになるのです。でも、今はそうではない。どうして、なぜと私たちは再びうめきます。それはいつも主が私たちの心のうちを探られるときではないでしょうか。自分の弱さ、罪深さを受け入れて神に向かう主の訓練の時です。神の最善はかならずしも私の願い通りではありません。神が最善をもってことを動かしてくださる。その信仰をもって進みましょう。

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