「神の力の現れ」使徒2:1-21


 私たちの意志決定の多くは理屈で説明しきれないこと、理性だけではなく感情で決めることが少なくありません。それは人は霊肉、また理性も感情も持った存在だからです。神を知る、交わるというときにも、理屈で理解したということだけではなく、思いや感情というのは大切な要素を持っているのです。
 使徒の働きの中のキーワードは1:8の「聖霊が臨まれるとき、力を受けます」ということばです。聖霊というお方は三位一体の神ご自身です。そして私たちに大きく3つのことをしてくださいます。第一に私たちを罪から救い、新しく神の子としてくださる救いと新生のわざです。第二に私たちを聖いキリストに似たものに造り変える聖化のわざです。それは信仰告白に告白しているとおりで、聖霊の通常のわざであり、1:5にあるように、悔い改めから始まる目に見える水のバプテスマを受けた者すべてになされるわざです。
 一方、ペンテコステの出来事は見えない神が目に見えるように顕れた特別な体験、それが聖霊のバプテスマです。彼らは特別なことを願ったわけでも、力を求めたわけでもありません。神ご自身が彼らを復活の証人として力を与えるためにしてくださった特別なわざなのです。彼らはその力を受けて造り変えられました。思いも理解も、理性も感情も神のものとされたのです。
 それは霊的な不毛な時代、神はここにおられるのだろうかとさえ思うようなとき、旧約の時代から現代に至るまで、神ご自身がご栄光を表すためになさるわざです。私たちは自分の努力や願いによってことをなすのではなく、神がご自身の御力によって、私たちの心と霊と一切のものを神のものとしてくださるように、そしてキリストの証人として立たせてくださるように祈ろうではありませんか。