打ち込めることの幸い

 過日、音大を目指す高校生とお話しする機会がありました。彼は打楽器科を志望していますが、ピアノや声楽と違ってその中身を理解できる人はほとんどいません。私はかつてブラスバンドで打楽器をしていたことを彼は知っているので、話しがわかるオヤジが来たぞと思った彼は、ここぞと自分の励んでいる練習の一端を見せてくれたり、思いを熱く話してくれました。
 彼が打ち込んでいる練習は並大抵のものではありません。何時間でも単調な1フレーズをできるようになるまで黙々とメトロノーム相手に練習台に向かう日々が続くのです。だから「どう?」と声を掛けただけで1時間以上わかってくれるであろうオヤジに話しが尽きないのです。
 一つのことに一生懸命打ち込んだ経験は一生捨てがたい宝です。彼の成果を見せてもらい、これだけのことをするには、寝ても覚めても、食事をしていても、風呂に入っても、何をしているときでも考えることは他にはないという程に努力した跡がハッキリとわかりました。及びもつかない高いところに道筋をつけます。普通ならその時点で遠すぎる目標と道筋にあきらめてしまうようなことでしょう。しかし、そこから一ステップ、一ステップ、小さな積み重ねをひたすら繰り返すのです。小さな通過点に喜びを見いだしてさらに奮闘し、時に投げ出したい思いを乗り越えて成し遂げたことがあるのです。
 その経験は今していることだけのことではないでしょう。学んだことは他にも通用します。それが彼の大きな自信に繫がり、人生を豊かにしてくれること間違いありません。若い時の経験は代え難い宝なのです。若い兄姉に、いまでこそ打ち込めることに一生懸命であるようにエールを送ります。主からいただいた大切な人生なのですから。