今日の箇所も、「誰が一番偉いのか」から始まる、私たちが人との交わりの中にどう生きるのかを教えるところです。その原理は、「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。」そのように徹底して仕えるあり方です。
ここで問われているのは、「つまずかせる」ことです。人は大岩にはつまづきません。避けて通るからです。何につまづくかと言えばそこにあるとは気づかないような小さなものにつまづくのです。ローマ14章には、食べ物にことで弱い兄弟の心を痛め、つまづかせることはやめよと教えられています。弟子たちが後に理解したことです。たかが食べ物のことでつまづき、心を痛める人がいたらどうするでしょう。イエスはその小さなことでつまずくのなら、右手を、右足を、片目をえぐり出した方が、つまづきを起こしてゲヘナに投げ込まれるよりは、まだましだと言われます。それほど、小さなつまづきさえ起こさない。そのためにやめるべきことがあるのです。
イエスはさらに塩気を保べだと教えます。その塩は火によって、つまり、命によって愛の塩気を保つということです。それはイエスご自身がこれから十字架に向かい、自らいのちを捨てて、全うした愛です。その足跡に従うことを求められているのです。
私たちの小さな小さな一つ一つのことの中に、愛を込めて歩んでいるだろうか問われています。「人生に雑用なし。雑にするから雑用になる」とは、渡辺和子さんのことばですが、まさにそうです。そして、ことを雑にしているときに、私たちにはいのちの喜びはありません。塩狩峠のような愛のストーリーがあります。そして、そのような機会が来たらではありません。日常の小さな小さなことの中に愛という塩気を保ち、互いによいものを与え合って、平和を造ろうではありませんか。