今日は洗礼式を迎え、新しいいのちの出発をする姉とともに、私たちがいただいている福音をもう一度確認したいと思うのです。
「神は」と言われるお方は、この世界を造り、私たち一人一人をこの世に生かしてくださるお方です。私たちはたまたま生まれたのではない。いのちには意味があり、一人一人の存在には目的があります。それは三位一体の神が永遠から永遠に持っておられるご自身の愛を喜び表すことです。
一方、私たちの現実はそうではありません。愛するために生まれた私たちにもかかわらず、「私の思い通りに」という罪を持っているからです。神を愛し、人を愛する。ちょうど織物の縦糸と横糸が組み合わさるように生きるべきところ、縦糸を切り、横糸を切るようなものです。それゆえ破けた関係ゆえに私たちは大きな悩みを覚えているのです。
神はそこに救いの道を備えてくださいました。ひとり子主イエス・キリストの十字架と復活です。自分を捨てる、しかも永遠から永遠まで一つであった三位一体の神の交わりから断たれるということはどんなに大きな犠牲だったでしょうか。「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか」と叫ばれた痛みはどれほどのものだったでしょうか。しかしそれほどまでに私たちを愛しておられるのです。
赦され、救われた私たちが新しく歩むべき道は「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という戒めです。いつも神の愛の大きさを見上げて、再び神を愛し、互いを愛し、よき織物を織り出しなさいと招かれ、また永遠の天に迎えられる希望を持って生きるのです。実にそのひとり子を賜ったほどに世を愛された。その愛に応える歩みをともに築こうではありませんか。
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