「神を愛し、隣人を愛す人に」ルカ10:25-37

 「塩狩峠」のストーリーを知っているでしょうか。暴走列車を自らの身を投げて止めて乗客を救った話です。私は小学二年生の時に映画で見ました。同じようなことがあったら自分もと思いますが、機会はやってきません。大きな愛の行為は歴史に刻まれるかもしれません。しかし、毎日の小さな歩みの中にあって、神を愛し、人を愛する生き方をすることが大切なことです。

 愛と呼ばれるものはたくさんありますが、大きく4つに分けるとわかりやすいと思います。第一は情けの愛。それは心が自然と動きます。しかし非情ということばのように、心動かぬ時があります。第二は友情。それはしばしばギブアンドテイクの関係で成り立っています。バランスが崩れると続きはしません。第三にエロスの愛。それは自分本位です。熱しやすく冷めやすい。聖書の愛はこれらでは表すことができない。だからアガペーという第四のギリシャ語を使いました。

 その愛は、与える愛です。十字架でいのちをも与えてくださった神の愛です。ゲッセマネの園でイエス様は「私の願いではなく、あなたのみこころのままをなさってください」と自分を捨てる戦いをしました。その愛は自ら意思をもってなすべき愛です。

 それを誰になすのか。よきサマリヤ人のたとえ話はよく知られた話です。私たちの周りには見渡すならば、隣人になるべき人がいます。身近な人に親切にすること、誰もしたがらないことを進んですること。悩んでいる人に優しい声を掛けること、赦すこと、さばかないこと。それは簡単ではありません。イエス様の足跡に従っていくとき、私たちは自分を捨てて愛に生きるのです。子どもたちがそのような愛の人に育つことを祈り、また、大人がその模範となろうではありませんか。