ペンテコステの不思議なしるしに人々が集まってきました。この日はイエスの十字架、復活からわずか50日しか経っていません。いまだ町中はイエスのうわさでもちきりだったでしょう。ペテロはここで主イエスのみわざ、十字架と復活の意味、つまり福音の中心をあかしするのです。
主イエスの地上のみわざは不思議としるしで始まりました。病気がいやされ、悪霊が追い出され、人々はこぞってイエスに求めました。それは神の国のしるしです。これまでどれほどの涙や苦しみ、痛みを人は覚えてきたでしょうか。病の苦しみはからだの痛みだけではありません。心身ともにいのちの痛みです。それらから解放され、救われるのです。人々は表に表れることししか見ることができませんでしたが、それは神が共におられるしるしでした。
ところが、人々は罪のないお方を拒んで十字架につけたのです。あなたがそこにいたらどうしたでしょうか。弟子たちは「たとえご一緒に死ななければならないとしても」と言いながらイエスを裏切り、群衆は大勢に流され、すべての人がイエスを十字架に追いやったのです。十字架をして百人隊長は「まことにこの方は正しい人だった」と言います。神の祝福を拒んだのです。それが罪です。
しかし、イエスは死からよみがえり、生きておられる!私たちが拒み、十字架につけた方を神はよみがえらせた。いったいどうしたらいいのか。それが人々の思いでした。ペテロは悔い改めて、罪を赦していただくためにバプテスマを受けるように勧めます。神を拒んで生きてきた罪を悔い改め、新しいいのちをここから始めなさい。あなたも同じように招かれています。十字架と復活を信じる信仰が福音の中心であり、神の祝福なのです。