「私たちの希望、復活!」ルカ24:13-53

 私たち人間はいくつもの困難を乗り越える様々な知恵を持っています。しかしながら、どんなことをしても乗り越えることができない壁、死だけは取り返すことができません。そして、その先がわからない不安から、生まれ変わりや霊の存在を信じたりします。しかし、それはまた、不確実な世界、死んだら終わり、だから生きている間にと刹那を生きる人たちも少なくありません。

 復活の朝、墓に向かった女たちの報告、それはたわごとと思われたことでした。墓を見にいったペテロたちも訳が分からず家に帰ってしまいます。エマオへの途上の弟子たち、彼らも復活を理解していません。「イスラエルを贖ってくださると望みをかけていた。」それはローマに支配された窮屈なこの国が自由と繁栄を取り戻すことへの期待でした。その期待むなしく散って、彼らは希望を失っていたのです。

 復活のイエスが彼らに教えられたこと、それは、「罪の赦しを得させる悔い改め」(47節)です。国がどうか、周りがどうかということではない。イエスが探られるのは心の思いです。今、福島を思います。東電が国が救済し、村を取り戻し、畑を取り戻せたら。そう思う気持ちは失った者でなければわからないことでしょうし、傍で言うことなど許されないことかもしれません。しかし、一方で人ができるせめてもの救いは目に見えること以上にはなりません。

 パウロは「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:12.13)と言いました。それは死をも乗り越える復活の力を信じる信仰です。よみがえりの主の救い、それこそが私たちの希望なのです