「私の役割は?」使徒6:1-7

 「生きることは食べること」です。しかも毎日毎食、私たちの生活に密着しています。それはまた、単に体のことにとどまらず、心や霊を含めた全生活に関わることです。物心をともにする初代教会の群れは男だけで五千人、その中で食べることが教会最初の問題になったことは不思議なことではありません。それが生きる教会の姿だからです。そこには二つの問題がありました。
 第一に、一番立場の弱いやもめがなおざりにされたということです。聖書は弱い者に合わせ、尊重し、心を配るべきであることを教えていますが、人の罪はそれを無視します。第二に、ヘブル語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間に差別が行われたことです。福音には人種も国も、男も女も、年齢も立場も乗り越える力であるはずですが、現実の教会には公平・不公平と感じるようなことが起こります。どのようにそれを彼らは乗り越えたでしょうか。
 彼らは12使徒が祈りとみことばの奉仕ができるように食卓に仕える、つまり生活に福音が生きるようにするための奉仕に7人の執事を選んだのです。彼らは御霊と知恵に満ちた人―主のみこころをわきまえ、評判のよい人―実際にその奉仕をする力を持ち、「この人なら任せられる」と皆が信頼できる人を選び、その役割をゆだねたのです。
 私たちそれぞれには、それぞれ違った個性や賜物が与えられています。それがキリストの愛によって互いに愛し合う交わりを築くとき、それはよきハーモニーとなって、キリストをあかしするのです。大切なのは、その中で不平や比較から自由にされて、主から与えられた私の役割をわきまえ、喜びを与え合うこと、分かち合うことではないでしょうか。あなたの役割は何でしょうか?
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