約束の地カナンに入ったイスラエルは領地分割を始めました。分割に先立って、ヨシュアと共に45年間イスラエル民族を率いてきたカレブは「どうか今、主があの日、約束されたこの山地を私にください」とヘブロンの地を要求しました。
彼は当然の権利としてヘブロンの土地を貰いたいと言ったのではありません。ヘブロンの地はまだイスラエルの領地ではありませんでした。しかも、45年前、斥候に来て行き巡り、アナク人の大きく強そうなことを見て、ヨシュアとカレブ以外の10人が震え上がったしまった忘れようにも忘れられない場所です。ですからこの要求は、これからカレブ自身が強いアナク人に戦いを挑み、その土地を奪い取らねばならないという、自らに対する厳しい要求だったのです。
それをあえて自分から申し出た。しかも、このとき、カレブは85歳です。しかも、その力は今尚、衰えることがありません。この強さの理由はイスラエル人が長命だったのではなく、「私は私の神、主に従いとおしました。主は約束されたとおりに、わたしを生きながらえさせてくださいました」と彼が言うように、たとい戦いと苦難に満ちた人生であっても、神に従い通す者、従い通す意欲をもって生きている者には、必要であれば上から異常な力が与えられるのです。
主によって道は開かれることを確信し、どんな不利な状況でも、「主が行け」といえば行く。どんなすばらしい状況に見えても「主が行くな」といえば行かないのです。カレブの生き方は、私たちに「現実的な消極主義者」になってはならない。「信仰的な積極主義者」として、神の命令に従って、問題に挑み、事を果たしていかなければならない、と教えているのではないでしょうか。