「自分の罪がわからない」第二サムエル12:1-14

 信仰の勇者として歩み、名実ともに王となったダビデが大きな罪を犯しバテ・シャバを見初めて召し入れ寝るのです。しかも人妻である彼女が身ごもると、戦地にいる夫ウリヤを呼び、家に帰らせる隠蔽工作をします。それが失敗すると彼を最前線に送り出して殺すのです。
 人の欲は目から始まります。とりわけ性的刺激を駆り立てるものは世に溢れています。性は神が人に与えてくださった祝福です。ですから男女が引きつけ合う力は強いのです。「姦淫してはならない」という戒めは、「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい」という教えと表裏一体です。ですからイエス様は「情欲を抱いて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。」と厳しく罪を突きつけます。
 ダビデは王になると側女や妻たちを迎えます。それが世の王のステータスなのです。そうすると罪に対する敷居がすごく低くなってしますのです。私たちも世の流れの中に身を置いています。ですから、線を引かなければならないのです。そうでないと、私たちは「しょせん罪人、やっぱり罪人、しょうがない」と聖さへの求めをあいまいにしてしまうのです。
 ナタンに罪を責められるまで、ダビデは自分の罪に気づきませんでした。それがサタンの策略です。しかし、それがハッキリしたとき、ダビデは悔い改めます。それは詩篇51篇にでてきます。「私はあなたに ただあなたの前に罪ある者です。私はあなたの目に 悪であることを行いました。…ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」こう告白するのです。彼は神の恵みの赦しを信じたのです。なおのこと、イエス様の贖いによって赦されている私たちは、「雪よりも白く」、と圧倒的な力で迫る世に流されず、御前に聖さを求めていきましょう。