世界がどう動こうとも、私たちが心揺さぶられるのは「私ゴト」です。誰もあえて試みを通ろうとは思っていません。面白しろおかしくなくたっていい、すべてがスラスラと進まなくたっていい。穏やかな日々を過ごしたいと願うのがせめての願いです。ところが、そうはいかないことが少なくないのです。
ヤコブの生涯もそうでした。天に向けれた梯子を見、神の約束のことばをいただいてスタートした信仰生涯でしたが、思うに任せないことばかりが起こります。パダン・アラムではラバンに騙され、ようやく帰って来たカナンでは、息子たちに欺かれます。それでも神の約束を信じる彼に、神は確かに導きをくださいました。
ヤコブは息子たちの知らせに茫然とします。理解を超えた出来事でした。ヨセフは時間をかけてことを消化しました。兄弟たちはその目で見て理解しました。しかし、ヤコブにはあまりに突然のことだったのです。しかし、ヨセフの送った車、そのしるしを見て心奮い立たせられます。心に留めたいのは、「道中、言い争いをしないでください。」(24)ということばともう一つは、『 家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』(20)ということばです。
ヨセフのストーリーは救いの型です。私たちに与えられている救いの完成のとき、それは黙示録に記されている「新しい天と新しい地」ですが、それを先取る型です。それですべてが赦されるのか。手放しで受け取っていいのか。言い争いならずとも、振り返る過去、未練を残したいままのもの。しかし、すべてが覆われ、すべてをかき消し、吹き飛ばしてしまう、次元の違う全く新しい祝福が備えられているのです。だから過去と決別して進むのです。それはやがてのことだけではない。今を生きる私たち、そこに、神があらゆるものを与えて、恵み豊かにあられる。前を向いて祝福を受け取ろうではありませんか。