山上の説教を順に学び、次にご一緒に学ぶように導かれたのは1ペテロです。イエス様の最も身近で教えを聞き、みわざを見た一人がペテロです。彼が何を示され、それを生きるように導かれたのか。ご一緒に読み進めたいと願うのです。
手紙の書き手、ペテロの始まりはガリラヤの漁師。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう」という招きに従ってすべてを捨ててイエスに従いました。彼はピリポ・カイザリヤで「あなたは、生ける神の子キリストです」という告白をします。そして、最後の晩餐の席でイエスに足を洗っていただきます。たとい死ななければならなくとも、決してあながを裏切りませんといいながらもイエスを否み、復活の後に、「あなたは私を愛するか」と問われました。
手紙の受り手、彼らは散らされた離散のユダヤ人。彼らのところにパウロが福音を届けます。あるいは迫害で散らされたキリスト者たち。そして共に救いにあずかった人たち。それは、わずかなキリスト者たちの群れ。この世にあって力ないように思える彼らは、この世では寄留者として天に望みを置いて生きている、そういう者たちです。
しかし彼らは「選ばれた人たち」です。聖書の教理の中で選びの理解は簡単ではありません。神が選ばれた、選ばれないという定めがあるなら、私たちの意思や努力や願いなどは無意味なのか?昨年60周年を迎えた私たちの教会のルーツ、それは熱いスピリットを持つ人たちの伝道の賜物です。選びとは何なのか。それは、私たちの努力や願いやそのようなものによるのではなく、選ばれたとしか言いようのない、人のことばでは表現しきれない神の恵み。それこそが選びです。それを心から共に感謝したいのです。