今年は、あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。(1コリ12:27)のみことばを掲げて歩みを始めました。教会の交わりが愛と一致に建て上げられることを願ってです。ところが、コロナのために集まることすらできない状況が続き、皆、疲れや重荷を負っています。
ここに疲れと訳されていることばは、労苦とも訳されますが、私たちの疲れの原因は様々です。からだの疲れがあるでしょう。子育てに奮闘中の若い兄姉、仕事に追われる兄姉、老いの弱さを感じるようになった兄姉もおられることでしょう。病を負うこともあります。肉体には限りがあるのです。また、心の疲れ。その多くは赦せない重荷です。また、押し殺した感情、つぶされそうになるような圧迫。罪深い人間が互いの間に抱える闇です。そして、霊的な疲れ。預言者エリヤはカルメル山でバアルの神々と対決して力強く勝利をした後に疲れに襲われます。無気力、徒労感、孤立感を覚え、負いきれない重荷にあえぎます。。
イエス様は「わたしは心が柔和でへりくだっているから、わたしのくびきを負って」と言われます。前の訳では「心優しく」と訳されていました。同じ語は同じ訳を当てる原則をあえて「心優しく」と訳していました。日本語では「やさし」は「やせる」と共通の語源を持つと言われます。やさしいとは、やせる思いで、自分の身を削って相手のために尽くすことです。十字架でいのちを削って、いやお捨てになられた。そのようにイエス様は心優しく自分を捨てるへりくだられたということです。
そのイエス様のくびき、それは「負いやすく、荷は軽い」と言います。それは、イエス様にくびきを委ねているからです。自分では負いきれない重荷です。そこに重荷を下ろして心軽くし、平安をいただき、新しい年を迎える備えをしましょう。