私たちが「めざそう百人教会」と祈り求めるようになっておおよそ一年半、どのようにして前進できるのだろうかといつも考え、そして祈っています。誰かがやればいいと思っているうちは決してそうはならないでしょう。大切なことは、ひとりひとりがキリストの証人として立つことです。
そのためには、私たちひとりひとりが神のみこころを知らなければなりません。救いと受洗はその出発点。そこからどのようにクリスチャンライフを生きていくのか。現実の生活というものは易しいことだけではありません。喜びもまた悲しみも起こります。
自転車に乗るとき、視線はいつも先です。目の前だけを見ているとふらつきます。多少ガタガタしてもしっかり先を見ていれば、進んでいけます。歩くときもそう。下を向いて歩いていたら、小石にはつまづきませんが、岩にはぶつかるでしょう。ブレない生き方をするためには、目標から目を離さないでいることが肝要なのです。
それでは、クリスチャンとしての目標は?ということになると、キッパリこうですと答えられるでしょうか?あなたのいのちの目的は何ですか?と聞かれたら、迷いなく答えがでてくるでしょうか。もちろん、どこかで聞いたはずですし、それを見つけたつもりでもいることでしょう。しかし、私たちはいとも簡単にそこから外れてしまいやすいのです。
修養会では、それを改めて確認し直すときにしたいのです。水草先生が「キリストを目指して生きる」とテーマをつけてくださいました。私たちの目標はキリスト。それをみことばの中に再発見し、理解を深め、確信を深め、ひとりひとりが成長していくところに、神は祝福を与えて成長させてくださる。それを信じています。日々、問い直し、前進させていただきましょう。