あの時聞いた迫りを忘れずに

 今週、あの東日本大震災から丸5年を迎えます。激しい揺れの記憶、ニュースに流れた目を疑うばかりの津波の惨状、原発事故の緊迫した決死の作業、故郷を追われる人たちの悲壮、混乱する首都圏の様子や物流の停滞、暗く長い夜の停電。この国がどうにかなってしまうのではないかという差し迫った危機。

 私たちは多くのことを経験し、記憶に残します。そのことに何の意味があったのか。もちろん、それは簡単にこうだとは言えない、消化しきれない思いを抱えてはいますが、あの日から続いた激動の日々を思い返しては、そこで問われたことをそれからどう生きてきただろうかと振り返らされます。

 教会で共に問われたことの一つは「私たちのこの福音こそが、すべての問題を乗り越える鍵であるとの確信」でした。真に頼れるお方、罪深い私たちを贖い、いのちの意味を教えてくださるのは、生ける真の神のみです。

そして、教会の使命は「この福音に私たち自身が献げ生きること。そして、この福音を伝えること」、それを共に言い表し、それを共に生きる群れとなろうという問いかけをともにしてきました。そして、それをわかりやすいことばで主の宣教のために、「百人教会を目指す」と言い表しました。

 5年経った今、どれだけの前進をしただろうかと振り返るのです。それは単に人数増えたかどうかで測るものではありません。それぞれの信仰が、真に神に拠り頼む歩みになっていただろうかという問いであり、福音の恵みに献げ、証ししてきただろうかという問いです。

 5年という歳月の間にはそれぞれのいのちのストーリーがありました。生老病死、家族も仕事も学び舎も、それぞれの生きるところに今も神を喜び、人を愛する歩みにもう一度思いを正して歩もうではありませんか。