先週の日曜日、我が家の台所の水道が凍り出なくなりました。それから月曜日、火曜日と最低気温がマイナス7.4度と記録的な寒さ。私は出張中でしたので、どうにもすることができず、こうしてああしてと電話で言うことくらいしかできず、不便な思いをしている妻が不憫に思えたことでした。
思い出したのは30年前のこと。私が甲府に住んだ最初の年、年末年始に帰省して再び甲府駅に降り立つと、駅前の歩道はガチガチに凍りつき、アパートの水道は凍結。ひどく寒いところへ来ちゃったなぁと思った次第。トイレの水が出ずにその度に大学で用を足す友人がいたり、その年の雪は40センチ、期末試験に先生が来ず、そのまま単位がもらえるかと期待したり。そんなことはよく覚えているものです。そうそう、大雪なのにバカな大学生は数人で車で東京に向かい、不通になった中央道。東名に向かえばどうにかなるんじゃないかと御坂から河口湖、御殿場に向かいました。当然、途中で動けなくなり、吉田のファミレスで一夜を明かした朝方、新雪に朝焼けの富士山がすごくきれいだった、そんな思い出があります。
何事もなくことが回っているとき、私たちはそのまま通り過ぎ、記憶にも残りません。一方で不便があったり、行き詰まったり、途方に暮れるような経験は、必ず記憶に残ります。そのようなとき、私たちは助けを祈ります。時が解決することも少なくありません。主が助け手を送ってくださった。その心遣いが心に沁みることがあります。
私たちはそのようにして、木が年輪を刻むように恵みの年輪を重ねるのではないでしょうか。それが大らかな広い年もあれば、きつく狭いときもある。それを振り返ったときにその時々の恵みを感謝する。そのような年を重ねたいものです。