おうちに帰りたい

 先週の母の日、カーネーションをお母さん方にプレゼントしました。会堂にいらっしゃれなかった姉妹方を午後から訪問しました。廻り切れなかった方々には申し訳ありませんでした。それぞれお宅にお伺いしますと、皆さん教会にいらっしゃる時とちょっとばかり顔が違います。気がついておられないと思いますが、あぁ、ここがおうちなんだなという顔をしておられます。
 おうちは、みなリラックスして、素のままでいられる場所だからなのでしょう。病院に長く入院するとおうちに帰りたくなります。最期はおうちで過ごしたいと皆言います。旅に出かけると、どんなに楽しく、素晴らしい場所に行ったとしても、おうちに帰ってくるとホッとするものです。
 私の母も「うちに帰りたい」と何度となく言いました。「ここはしばらくいるだけで。帰れるもんだとばっかり思っていたのにひどい」と怒り出すことしばし。一時期、父の仕事の都合で川崎のマンション暮らしをしたことがありました。その時にもしきりに「うちに帰りたい」。アルプスの少女ハイジがそうでした。山で育ったハイジはフランクフルトに連れて行かれますが、そこで病気になってしまいます。クララと仲良くなりましたが、「山に帰りたい」。みな、自分のおうちに帰りたいのです。
 イエス様は約束をくださいました。「わたしの父の家には住む所がたくさんあります…わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネ14:3,4)永遠のおうちに迎えられる。帰るべきおうちがある。「どこから来て、どこへ行くのか」とはハガルへの問いかけでしたが、人はみな「どこへ行くのか」その先を求めています。帰るべき天のおうちがある。それはなんと安心なことでしょうか。