おめでとう

 新年の挨拶は「おめでとう」ですが、「めでたい」というのはどのような由来なのでしょう。メデイタシ(愛甚)、メデイタシ(愛痛・感痛)、メデ(芽出)タシ、目ダツラシ、日出タシ・女出(天の岩戸伝説より)などが考えられています。今日ではメデイタシ(愛甚)説が広く支持されています。動詞の「めでる(愛)」に「いたし(甚)」がついて「ほめたたえることの甚だしい」の意で、「最上に好い」ことでしょう。

 ですから、「おめでとう」は賀詞だけではなく、様々な祝い事に交わされる挨拶となっています。もっとも他の祝い事では「おめでとう」に「ありがとうございます」ですが、新春の「おめでとう」は互いに「おめでとう」です。それは、新しい春の初めの明るい世界がめでたいからであり、その日を共に喜び合うのにふさわしい言葉なのでしょう。ついでながら「明けまして」は古い年が改まっての意です。一昔前なら数え年ですから、「明けて何歳」と年齢を数えるのにも使いました。私たちの心はそのように明るい気持ちを新たにいただくのです。

 暦を新しくし、新しい気持ちになり、大掃除できれいさっぱり新しい年を始めますが、三日過ぎればただの人になるのが私たちの弱いところです。「やっぱり」などという気持ちが早々に起こってきたりもします。ですが、「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。2コリント4:16」とあるようにと願わされます。

 きれいさっぱりと新しい気持ちで始める中に、悪しきものが入ってこないように、主よ守り給えと祈り、汚れをきよめ給えと祈り、キリストにあっては日々新しくされて、よき実を結ばせ給えと祈り、この年の祝福を祈り始めたいと願います