ゴミ拾いが平和をつくる

 「ぼくの名前はヤン坊♪ぼくの名前はマー坊♪」で知られた『ヤン坊マー坊天気報』。そのメロディーに乗せて、次の文句を口ずさんでみてください。

 「ボクの名前は環境♪キミの名前も環境♪ みんな揃って大掃除♪キミとボクとで大掃除♪大きなゴミから小さなゴミまで、みんなで拾おう環境整備♪」

 えっ、何のこと?梨大の大学祭の時、かつて全学科それぞれ趣向を凝らした仮装パレードをしました。私の出身である「環境整備工学科」は白いTシャツ、白い短パンをはき、この歌を歌いながらゴミ拾いをしたのです。今は工学部のパレードはなくなり、教育学部のみこじんまりしたパレードになので、今は昔です。

 さて、「みこころの天になるごとく地にもなるように」と祈ることとは、私たちが他人のゴミを自分のゴミとして拾うことだと先日の修養会で水草先生がお話くださいました。その時に思い出したのです。そう、私たちの社会、誰かがゴミ拾いをしているのです。それでも最終処分場などはたらい回し。核のゴミもその行き場は宙に浮いたまま。どうにかカネの力で解決しようと貧しいところ、弱いところに押しつけたりします。

 自ら進んでみんながゴミ拾いをするなら、世界の問題は解決します。神の国の王であられる主イエス様は実にそのようにしてくださいました。同じように世界の王としてともにその務めを担うことを私たちに求めておられるのです。私たちは「みんなで」と時に言います。しかし、それはしばしば自分で率先してすることから逃げていることが少なくありません。まず、私から進んでゴミを拾う。たとえ誰が見ていなくても。たとえ「みんな」がしなくても。そこにこそ平和の道があることを心に留めようではありませんか。